ミンミンゼミの最終定理

~徒歩5分の電撃戦~

2022年10月

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つるべ落とし

 秋の日はつるべ落としというがまったくその通りだ。10月に入ってから夕暮れになったと思った瞬間すぐ一面夜になる。もう季節が巡って一年が終わるんだなと感慨にふけりながら焦りもあったりする。 最近は少しづつなにをしたくて何を一度手放すべきかを整理できて来た気がする。整理はしたのであとは断捨離と計画の実行のみだ。それが一番難しいんだけれど……。

これがバタフライエフェクト

 自転車、いや自転車に限らず長らくメンテナンスをしていなかったけれどもなぜか正常に動いていたものを整備する時、大切なのは知識と技術……そして気力だ。こういうものはたいてい絶妙なバランスを保って動いているので一箇所変えると途端にすべてがだめになる。サビ一つすらもはや大切なパーツと化している。

 ここ1週間以上もう自転車をずっと整備している。今日なんかとうとう小学生に「なんで自転車壊してるの?」と話しかけられたりもした。「自転車を直す時はな、一度壊さないといけないんだよ」と答えた。ほんとうにスクラップアンドビルドなんだ。ハンドルの位置を調整した時、ディレーラーのワイヤーを引き直した時、それはパンドラの箱を開ける行為に等しい。テンションが狂い、他の欠損箇所が気になりだし、気がついたらオーバーホールレベルでメンテをしている。ディレーラーのワイヤーを張替え、ブレーキシューを入れ替え、サドルも替えてタイヤも米式にしてスポークの振れ取り……。さっき仮眠してたら夢でまで自転車をメンテしていた。頭が自転車になるところだった。それなのに知識レベルはまだまだ足りない。あとほかにやりたいこともごまんとある。人生の時間が足りない。あと体力。……寝よ。ではまた~。

形あるもの

 今日こそ部屋を片付けようと思ったら空気入れのゲージの修理に熱を注いでしまった。しかも結局中途半端なところで終わった。まあ、そんなことをしながらふと、「なんで自分はこんなにバラして修理してるんだ」と思った。正直Giyoの空気入れなんて安価だし、いまどきもっといいものも出ている。その時ふと思い出したのが祖父がよく言っていた「形あるもの5日は壊れる。壊れても直せばいい」という台詞だ。私は幼い頃(今もだけど)よく物を壊していたので両親に叱られた。そんな時祖父がそう言ってかばってくれた。だからよく覚えている。あとは昔はパズルが好きだったからバラして組み立てる構造を知るというのに慣れているのかもしれない。そういう2つの面で昔から100円PCのメモリ増設だとかバラして入れ替えて……ということに精を出していた。

 祖父は洋服屋を営んでいたので自分でパッチワークで修復したりしていたらしい。服以外にも色々なものを直していたとか。それに限らず昔の人は結構ものを自分で組んでるのかもしれない。手組みホイールができなければ自転車乗りを名乗れない、なんて昔はあったらしいし。何はともあれ祖父とのつながりを少し感じることができてなんともむず痒くも嬉しい気持ちになった今日このごろであった。ではまた~。

寒い

 いきなり冷え込んだ。今日は外に出ないといけなかったので萎え萎えだった。夜曇ったのでどれ昨日履いたタイヤの試走でもしようかと思ったら真冬のような寒気にやられてすぐ家にもどってしまった。このところスキあれば作業をしていたのと急激な気温変化で疲れてしまった。まあその御蔭でよけいなことを考えずに済んでいるわけだけれども。明日は自転車以外のあれこれをやっていきたいと思う。

 ちなみにGalaxyのガバガバ万歩計によると今日は10.74kmくらい歩いたらしい。久しぶりに純粋に歩いたけれどもこれくらいで疲れてしまっては話にならない。どうやったら疲れにくい体作りをできるのだろうか。長年の疑問である。まあさっさと寝ろって話か……。ではまた~。

さらに寒い

 馬鹿みたい寒かった。なにやら12月上旬並、10月にここまえで冷え込むのは88年ぶりだとか。とんでもないことが起きているがその御蔭で巣ごもりが捗った。プラリペアなるものを購入してPCMレコーダーのネジ穴や三脚の台座を直したりした。こういうのを今まではグルーガンとかダクトテープのゴリ押しでやってきたが少しづつどういう状況で何を使えばいいか理解できてきた。ただし不器用さはお墨付きなので上手くできないことは多いけれど。それでも知識と経験は大切だ。何を奪われてもこれら2つだけは誰にも奪うことのできない唯一無二な存在なのだから。なんちゃって。ではまた~。

バイクをもとに戻した

 今日は昼は過ごしやすかったが夜は冷え込むという典型的な秋の陽気だった。そういえば秋をモチーフにした歌は少ないなとか、ヤマノススメ4期ってそろそろだっけかとおもいながらバイク売却の準備を進めていた。友人にてつだってもらいながらVoltyに今まで取り付けた風防、リアボックス、その他色々をできるだけバニラ状態に戻した。ついでにスパークプラグが余ったので変えておいた。メンテナンスをしていたらバッテリー下にPullの文字があったのでふと引いてみると中に車載工具が入っていた。たまげた。無いと思って買ったがまさかそんなところにあったのか。普通もっとわかりやすいところに入れてあるがデザインを重視し、じゃまにならないところに隠しツール的に入っていたのだろう。まさか3年も経って初めて気づくとは。

 そしてETCやグリップヒーターなどめんどくさいものは除いてデフォの状態にしたとき、すごく洗練されたデザインだと改めて感じた。私はロングツーリングがしたくてBoxをつけたり風防を足したりといろいろ九龍城状態にしたが、それはすべて野暮だったことを察した。Voltyというバイクはトートバッグくらいでさくっと出かけ、気軽な街乗りツーリングをするために最大限のデザインが張り巡らされている。そんなことを今更改めて実感した。こいつの最適解は着の身着のままあてもなくアクセルを程よく回しどーでもいいような場所にフラフラと出かけるポタツーリングだったんだ。250ccは高速を走るためでもなく、峠を登りやすくするためでもなんでもない。ただ気楽に乗れるバイクの最適解だった。そして角張らないなめらかなデザインそれ自体がこれ以上いじるなと言っている。そうか、このデザインと座り心地に俺はピンときて買ったんだった。すべてを思い出した。今までのツーリングは旅行ではあったがvoltyそれ自体とは向き合いきれてなかったんだと。ネットではVoltyをベース車にしてゴリゴリに改造する人も多いがやはりナンセンスだ。たしかに安いからそういう用途になるのも仕方ないが、VotlyはVoltyのまますべてを感じるべきなのだと、売る直前、元の姿に戻して実感した。バイクは目的であり、手段ではない。それ自体を楽しむ存在なのだ。ただの足にするならスクーターでいい。積載したいなら車に乗ればいい。そこをわざわざMT250ccのバイクに乗るというのは他の野暮な要素を全部取っ払って最小限を楽しむべきだったんだ。Less is more.

 遠出をすればパンクしたらどうしようだとか、雨が降ったらどうしよう……色々不安に駆られて積載を増やす。あるいは星を撮りたいから機材を載せるBOXを設置する。キャンプをするためにサイドパニアをつける。全部いらなかった。そういうことをする足じゃない。このVoltyは下駄車だが、下駄車であることを最大限に楽しむ、日常をより彩るための車体だった。彼に乗り、出かけること以外の要素はすべて消して気ままに出かけよう。ああ、こんな簡単なコンセプトがこんなにも難しいだなんて。なあVoltyお前はいいバイクだよ。二度と手に入らないかもしれない。レプリカとして持っておきたい。でもダメだ。乗られてこそ価値があるんだから……。ではまた~。

馬鹿眠い

 やっとメンテが99パー終わった。そろそろこのサイトとか創作のあれこれとか進めたい。ここ最近ずっとメンテメンテ!マタメンテ!といやイタリア語しゃべっているのか?ってくらいメンテ地獄に入ってたので流石に疲れた。ミニベロを最近買った友人のメンテも手伝ったのでもう筋肉痛だ。眠い。寝る。ではまた~。

整理整頓

 一昨日外したバイク関連のアクセサリーを掃除したりした。こうやって改めて数えてみるとわりかしバイクにお金を費やしていたんだなと思う。主にロングツーリングやキャンツーをするために生やした積載関連がメインだけれど。あまり車体は弄りたくないので充電器を取り付けたり、グリップヒーターを追加する、LED化など最低限快適に乗るカスタムにとどめておいたが、それでも色々やってたんだなぁと。結局快適に乗るのがメインならレンタカー借りろって話なんですけどね……。でも不便さってなくなったらそれはそれでつまらないんだよな。難しい。結局ないものねだりの極地なのかもしれない。まあ人生のメンテナンスができるようになったらまたバイク乗るのも手かな。あと何百年後になるんだか……。ってまだ車体は売ってないので気が早いか。ていうかなんだかんだ三年もこいつ乗ってるんだな。早いもんだ。最終的に遠くに行くツーリングじゃなくて近場を回るほうが性に合ってるって気づいた。こういうのは実際にやってみるとわかることが多い。予想はできても、それがぴったり当たるなんてことはない。いつだって予想外のことが待ち受けてる。それがいいのか悪いのか。まあ、考えても仕方ないな。ではまた~。

さよならボルティー

 ついにボルティーを売った。バ○ク王の対応が酷かったので結局赤髭で売ることにした。やはり店での買い取りは足元を見られがちなので色々難しい。そういえば2年ちょっと自賠責が残ってるはずだけれどあれどうなるんだ。完全に失念していたので後日問い合わせをしてみよう。

 走行距離22152.7kmお疲れ様。ありがとうボルティー。あのツルツルのタンクがたまらなく好きだったよ。まあなどと感傷に浸りながらだがバイク関連の道具を処分しないといけないのでまだまだやることはたくさんだ。さて寝るか。ではまた~。

秋の空

 昨日まで晴れ予報だったはずが蓋を開けてみれば小雨だった今日。本当はバイクの売却も今日済ませる予定だったが昨日の晴天で行って正解だったようだ。さて、今日はバイク道具の処分の傍らプロムナードバーの実物を見にあさひへ向かった。残念ながら近隣店舗に在庫はなかったが、店員さんがニッチなハンドルバーを扱っているお店を教えてくれたので今度行ってみようと思う。しかし仕事もサイクルショップで休日もサイクルショップめぐりとは本当に自転車が好きな人なんだなと思う。自分は人の自転車をキッチリメンテナンスする自信がないため羨ましい限りだ。まあ、純粋に好きで色々見てくれたほうがwin-winなのでこんなにいいことは中々ない。

 話は変わるが最近生活サイクルが変化しつつある。というのも今までにくらべて睡眠時間が短くても問題なくなってる。起きる時間も少しづつ早くなってる。これはいい傾向なのだろうか。よくわからない。ただ若干の眠気はいつもあるので本当に睡眠時間足りてるのか怪しい。とはいっても前々から眠気が取れた試しがないので逆に平常運転かも知れない。ということで眠いから寝る。ではまた~。

シンプルに生きたい

 ここ最近契約やキャンペーン、価格などお金が関連するしがらみに囚われているので疲れた。なんとなくもっとシンプルに生きていけたらなぁと思ってしまった。書類を出して……契約を結んで……月額を払ってといった先を考えながらうまくやりくりしていかないといけないのが果てしなくしんどい。おそらくこの先こういった機会はますます増えるだろうと考えると胃がいたくなる。ああもっと自由になれたらなぁ。ではまた~。

純朴さ

 今日は色々とタスクをこなしたついでに個人のサイクルショップへと行ってみた。先日プロムナードバーを探してあさひに行った時、店員さんが親切にも変わり種が置いて有りそうな店を紹介してくれたので恐る恐る行ってみた。こういう個人店は中々入りづらいので結構勇気が必要だ。店にはいるとたしかにハンドルの数々、ドロハン、フラットはもちろんノースロードバーにプロムナード……色々置いてあった。店主さんも親切な方でわざわざパッケージから取り出して自分の自転車に試し付けまでさせてくれた。こういうものは実物を試してみないと使い心地がわからないのでそこまでしてくれるとは本当にありがたかった。ちなみにドンピシャでしっくりきたハンドルバーがあったので買ってしまった。6000円くらいだったのでAmazonの中華を漁るよりは高いがNITTOの製品にしては多分安い部類なはず。そもそも似たような形状のやつを買えばいいのかというとそういうわけでもないのでハンドルバー選びは難しいところだ。店主さんは造詣が深い方で、色々と説明してくれた。フレーム製作もやっているようなので小さい個人ショップとは言え侮れない。ちなみに言ってることは3割位も理解できなかった。まだまだ自分は浅いなと畏怖の念を抱かずにはいられない。

 先日のあさひの店員さんも、今日行った店主さんもハンドルバーについて楽しそうに語ってくれた。仕事、というとどうしても強制的なイメージが強くなってしまう中でこういった人がいることは自分にとって救いのような気持ちになる。話している中で自転車に対する真摯で、純朴な愛を感じた。専門的なことを扱う人はこうであってほしい。もちろん万人そうなれと言うのは無理難題だけれども、それでも聞いてるこちらも楽しくなるのでやはりいいものだ。この間バイクを売りに行った店も整備員の人が「久しぶりに見たねぇ」などと話していてなんとも心地よかった。なんとなく救われた気持ちになった。あまり言語化はできないけれど……。ではまた~。

生活習慣

 最近謎に生活習慣が改善されている気がする。筋トレを始めたからか朝に強くなった。さて、そんなことをして1ヶ月半も自転車にうつつを抜かし絵を描かなかったらAIが5000兆倍進化していた。まあいつかこうなるよなぁって感じだったが。それでもやはり自分で作りたいものは自分で作るしか無い。単に他人に任せるのがあまり好きじゃないのだけかもしれないけれど。とかいいながらちゃっかりめんどくさいことは他人任せでいきてるんだけどね!まあええか!よし、寝よう。ではまた~。

光陰矢の如し

 なんか最近1週間がものすごい勢いで過ぎている気がする。気がつけばもうあの日が来る。参った。眠いので寝る。ではまた~。

ついに

 本当にこのときが来てしまうのか……うーむ。実感がわかない。いや、とりあえず準備しよう。ではまた~。

一つの区切り

 気がついたら1週間も間が空いてしまった。まあそのうち4日は出かけてたわけなんだけれども、家に帰ってからは典型的な燃え尽き症候群になっていた。ぼんぼり祭り、花咲くいろはというアニメの作中で描かられた祭りを現実でやってしまおうというこの企画は今回で10回目を迎えた。友人といつかいこういつかいこうと数年以上話していて3年前行くようやく行く機運が高まった。しかし、残念ながら台風で延期になってしまった。縮小開催なら来年にするかと見送ったがそれがとんでもないことになった。例のウイルスで2年連続中止、今年もどうなることか直前までドキドキだった。そもそも入場券が抽選だったのでこの半年は本当にドキドキさせられていた。運良く自分も友人も当選していて、更に今月は全国旅行支援もスタートして(GoToのほうがシンプルで良くないかとか言いたいことはあるけど)追い風がふき、危惧されていた天気もそのまま満天の星空の下無事、祭りを楽しむことができた。

 ここ一ヶ月はぼんぼり祭りと金沢観光のために自転車を延々と整備していた。アクションカメラも買い替えた。体力作りのため筋トレも開始した。いらないモノも処分して万全を期すつもりで挑んだ。懸念すべき事象はできるだけ残さないようにしようと思った。まあただ絵が疎かになって西岸駅の交流ノートに描くのをためらったのは悔いか…。色々準備準備とやってたせいで花咲くいろはを見直すのを忘れていた。これから見直さねば。しかし、終わってしまった虚脱感が半端ない。帰りはやりきった感覚で満たされていたのにも関わらず、日常に戻って数日何もやる気が出ない。一応無理に色々やってはいるがなんとなく滑るというか熱を注ぐことが難しい。それだけあのイベントは自分の指針の一つだったんだと終わってから気がついた。一体この軽くなった荷物に何を詰めるべきか決めあぐねいている。


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